あの日と同じ暑さ

ご無沙汰しております、うめおにぎりです。
今日の内容は少し重いかもしれないです。

昨日までの3日間、久々に母方の実家に顔を出してきました。

(下灘駅/母方実家までのルート上にあったのでちょっと立ち寄り)

 

実に5年振り、幸いにも晴れ間が見えている時間が多かったのであの夏と変わらない暑さを感じることができました。

 

5年前のあの日、俺はまだ北海道で働いていて、たまたま(まだ彼女だった頃の)妻とTDLで遊んでいたことを良く覚えています。

 

 なんか携帯の通知の数がおかしいなって思ったこと。
 「仕事で何かやらかしたかな。」と思いながらスマホを見たこと。
 家族グループLINEの通知数が多かったこと。
 すでに母親は家を出たと聞いたこと。
 リアルタイムで次々と現れる不穏な文字に不安を感じたこと。
 慌てて羽田発松山行きの飛行機を調べたこと。

 

"夢"だとか"魔法"だとか、明るい言葉や雰囲気に満ちた空間の中で、俺ひとりだけが別世界に飛ばされたような気持ちをいただいたこと、すごく鮮明に覚えています。

その後、どうやって愛媛の実家に辿り着いたかとかは全く覚えていないのですが、気づいたら通夜、葬式は終わっていて、事実を受け止められないまま祖父のお骨を拾った…。そんな5年前の夏。

 

次の夏は、父方の祖父が亡くなってしまったので、遠く離れた愛媛に行くことはできず、"次の夏こそ"と思っていた矢先のコロナ禍。そんな感じで5年振りになってしまいました。

 

祖父が天国に行ってしまってから祖母はどんどん弱ってしまって、認知症を患ったと聞いていたので覚悟していましたが、ギリギリ俺のことは覚えてくれていました。
今回は初めて妻も連れて行きましたが、結婚を喜んでくれたのは嬉しかったです。(結婚式を挙げなかったので妻との初対面でした)

ただ、やはり認知症の影響か、『彼女はおらんのか?』とか『あんたはどっちだ(弟も一緒に行ったので間違えられた)』とか『祝儀はちゃんと渡していたか(報告時にありがたく頂戴していた)』とか、人の認知の脆さを痛感することにもなりました。

まるで祖母だけ時間遡行をしているかのようでした。

 

そんな祖母に妻を会わせたのは正解だったのかってのは、帰ってきた今でも少しだけ気にかかっています。

「"ちゃんと会ってもらった"という自己満足」になっていないかと。

というのも、時間遡行をしている祖母に対しては、その遡行先(?)の時間軸に合わせて話をすることも向き合い方の一つの正解なのでは、とも思ったからです。

"想い出の中で生活させてあげること"なのか…
"たとえ自己満足でも、忘れられたとしても移り行く今を生きてもらう"のか…

難しい選択肢だなって思いました。
でもきっと、いずれにせよ"祖母と楽しく話をすること"が一番の正解で、それを実現できたので今回会いにいったことには意味があったはずですよね。

 

そう遠くない将来に自分の親が同じ状況になったとき、自分がどう立ち居振る舞うかを考えさせられる3日間となりました。
あとは、たとえ距離が離れていたとしてもきちんと会える時に会いに行かなきゃってことを痛感しました。

 

オチも纏まりも何もない文章になってしましました…。笑
最後に、祖父母との写真でお気に入りの一枚を。

(幼少期に連れて行ってもらったTDLでの1枚)

 

それでは、また。

2023.8.13   うめおにぎり